統語論で扱う文構造とは(その2)
前回筆者が執筆したブログ記事で、入試問題で出たという問題を取り上げました。
【前回の振り返り】
問.「叔父が海外に行く」「私は父と見送りに行った」「急いで見送りに行った」という内容を一文で表したとき、解釈をする上で誤解の生じないものはどれか。
ア 父と私は急いで海外に行く叔父を見送りに行った。
イ 父と私は海外に行く叔父を急いで見送りに行った。
ウ 私は父と海外に行く叔父を急いで見送りに行った。
エ 私は父と急いで海外に行く叔父を見送りに行った。
正解は<イ>で、前回の記事では、その答えを理論言語学の観点から解説しました。
【不正解だった選択肢<ア>について】
続いてア〜エのうち不正解だったもの、すなわち「解釈をする上で誤解が生じ得る」ものを検討したいと思います。今回はまず<ア>の選択肢を取り上げたいと思います。
前回説明した通り、日本語の母国語話者が文を書いたり話したりする際は、一見単語を上下、または左右に並べていっているだけのように見えます。しかし、頭の中には「樹形図」で表される階層構造(統語構造)ができあがっているのです。下記に<イ > の構造を再掲します。
<イ > の統語構造
この図と、選択肢<ア>の図を比較してみましょう。<ア> の文が「解釈をする上で誤解が生じ得る」ということは、言い換えると「<ア>の文の解釈は複数生じ得る」ということです。みなさんも<ア> の文の解釈がいくつあるか、少し考えてみてください。
<ア>の文の解釈
大多数の人は、<ア>の文の意味は次の二つのうちのどちらか、これだけではわからない、と思うのではないでしょうか。
① 海外に行く叔父を、父と私が急いで見送りに行った (急いでいるのは「父と私」)
② 叔父が急いで海外に行くので、父と私は見送りに行った(急いでいるのは「叔父」)
つまり、<ア> の文の語順だと、副詞「急いで」が「父と私の行ったこと(見送りに行くこと)」に係るようにも取れるし、「叔父が行ったこと(空港に行くこと)」に係るようにも取れる訳です。
なぜ<イ >ではそうしたあいまいさ(多義性)が生じないのかということを考えるために、二つの意味解釈の背後にある統語構造を見てみましょう。
<ア>の構造 – ①の意味
<ア>の構造 – ②の意味
どちらの樹形図も、赤枠で囲った部分、つまり私たちが見たり聞いたりする部分は<ア>の文です。しかし、樹形図の上部の統語構造は少し異なります。①の意味の統語構造では、線形順序では「父と私」と「海外に行く叔父 …」の間にある「急いで」という副詞が、「見送りに行く」という動詞を中心としたまとまり(動詞句)の一部となっています。つまり、この副詞は「見送りに行く」という動詞が表す出来事を修飾しています。
一方、②の意味の統語構造では「急いで」という副詞は「叔父」という名詞句を修飾する関係節の中に入っています。関係節の中の構造は、上記の図では詳細が省略されているので、その部分を取り出して見てみましょう
関係節も文なので、主語と述部から成り立っています。多くの人が英語の授業で習ったように、修飾している語句(この場合主語の「叔父」)と同じものは発音されません。線形順序では「父と私」と「海外に行く叔父 …」の間にある「急いで」という副詞が、この構造では名詞句を修飾している文(関係節)の中の動詞「行く」を中心とした動詞句の一部になっていて、「行く」が表す出来事を修飾しています。
ここでもう一度<イ >の構造を<ア>の二つの構造と比較してみましょう。<イ >の文の中で「急いで」は「見送りに行く」を修飾することしかできない位置に出てきています。<ア> の文を見たり聞いたりすると、無意識のうちに身についている母国語知識のおかげで、日本語の母国語話者の頭の中には、文脈が特段指定されていなければ、①・②二つの構造が自然と浮かび上がってくる、と理論言語学では考えます。そのため<ア>の文は多義的で、あいまいさが生じ得て、この問題の正解にはなりません。
次回は選択肢ウとエを取り上げたいと思います。