【シアンの本棚】ことばの科学 こころの科学
専門家が自分の専門分野などに関する本を紹介する投稿の第二弾です。今回は「言語学」をテーマにします。
「言語学」と聞いて、みなさんはどのような学問を思い浮かべるでしょうか?言語をたくさん知っていて話せる人、ことばの使い方に長けている人、方言の専門家など、さまざまなイメージがあると思います。
身近なものであるだけに、「ことば」「言語」を研究の対象とする試みは「ゆるい」ものから本格的なものまで非常に多岐にわたります。ここでは「理論言語学(またの呼び名を「生成文法理論」)」を取り上げてみたいと思います。一つの言語の文法体系を徹底的に調べる試みは、どの言語圏でも古くから存在します。それを1950年代半ば、国力を誇っていたアメリカ合衆国に端を発する「認知科学」という学際的な、ヒトの「心」を明らかにしようとする学問の一環として位置づけたのがノーム・チョムスキーというMITの名誉教授です。
理論言語学とは
言語は記録されているだけで世界に何千とあり、学問の研究対象とされる際、多くの場合はその多様性に着目されます。しかしチョムスキーは、言語のような複雑な規則体系を持つのは(現時点で判明している限りは)地球上のあらゆる種の中でヒトだけであること、さらに母国語の獲得過程は、ある程度の年齢になった大人が言語を学ぶ場合とは異なり、子どもが体系だった時間割や教科書、試験も要らず、教師による授業もないにも関わらず、小学校にあがる前に(語彙の数は別として)大人と変わらない母国語の文法の知識を身につけていることから、地球上の何千もの言語に共通する「種の特性」としての「言語の知識」がヒトには備わっているのではないか、と提唱しました(以下、「言語」は「母国語」として話を進めます)。
しかし、言語の知識がヒトの種としての特性であれば、生まれた場所に関わらず、どの人種にも共通のものであるはずです。それならばなぜ地球上には何千もの言語があるのでしょうか。この仮説と現実の、一見相反する状況を説明するのに、チョムスキーは「ヒトの言語知識はいくつかの “スイッチ”から構成されていて、そのスイッチの組み合わせ具合に応じて個別言語が決定される」とさらなる仮説を立てました。このような仮定に基づくと、乳幼児が母国語を身につけていく過程の特別な点を無理なく説明できるようになります。 文法のしくみにとどまらず、赤ちゃんや小さい子どもが母国語を身につけていく過程を明らかにするという点で、理論言語学は「ことばの科学」であると同時に「こころの科学」であるともいえるのです。
おすすめの本
以下1〜4および5は、その生成言語理論という「心の研究」としての言語学について記したものです。中古でしか手に入らないものもありますが、この分野の内容を技術的な面にそれほど触れずにわかりやすく解説しているものなので、挙げてみました。5は脳科学者で、生成文法理論をよく理解している第一線の研究者が記したもので、やや(狭義の)理系の視線に偏りすぎているきらいもありますが、生成文法理論の概要を良くとらえていると思います。
興味のある人はぜひ一読してみてください。
1. 言語のレシピ マーク・C. ベイカー著 郡司隆男訳 岩波現代文庫 2010年刊行(新品邦訳は入手困難;原著 The Atoms of Language: The Mind’s Hidden Rules of Grammar(Mark C. Baker, 2002, Basic Books)がkindle版で1000円前後で購入可能。平易な文章なので英語でも読みやすい。)
2. 生成文法の企て ノーム・チョムスキー著 福井直樹・辻子美保子訳 2011年刊行 岩波現代文庫(新品は入手困難; 原著 The Generative Enterpriseは入手可だが、単価5500円前後と高いのが難。)
3. 我々はどのような生き物なのか ノーム・チョムスキー著 福井直樹・辻子美保子編訳 岩波書店 2015年刊行 税込1980円
4. 新・自然科学としての言語学 福井直樹著 ちくま学芸文庫 2012年刊行 税込1430円 (新品は入手困難)
5. チョムスキーと言語脳科学 酒井邦嘉著 インターナショナル新書 2010年刊行 税込946円