統語論で扱う文構造とは(その1)

最近、Twitterで次のような試験問題が話題になりました(元のツイートに記載がないので出典は不明です)。

問.「叔父が海外に行く」「私は父と見送りに行った」「急いで見送りに行った」という内容を一文で表したとき、解釈をする上で誤解の生じないものはどれか。

ア 父と私は急いで海外に行く叔父を見送りに行った。
イ 父と私は海外に行く叔父を急いで見送りに行った。
ウ 私は父と海外に行く叔父を急いで見送りに行った。
エ 私は父と急いで海外に行く叔父を見送りに行った。


答えや解説はすでにこのツイートへのコメントとしてたくさんインターネットに上がっているので、そちらに詳細はゆずります。みなさんも少し考えてみてください。

文構造とは

上の問題の正解は<イ >と思われます。ここでは、その正解の<イ >の文構造を示して、そこから日本語を母国語とする人たちの言語知識について考えてみたいと思います。

母国語話者の言語知識を考える領域のうち、文構造を専門とする分野を「統語論」と呼びます。統語論で扱う「文の構造」とは、音(文字)で一次元的に表示されている文の背後にある「構造」で、これは目に見えないし、音としても聞こえないものです。<イ >の文の構造は、次のようになります(助詞のいくつかは割愛;また「見送りに行く」は一つの動詞とみなす)。

樹形図

いきなり不思議な図を見て、びっくりされた方も多いかもしれません。統語論ではこのような文構造を「樹形図(tree diagrams)」と呼びます(実際には樹木をひっくり返したような形状ですが)。特に専門知識がなくても、この図から私たちが実際に発音したり、耳にしたりしているのは文構造の一番下の部分、ということがわかると思います。この図の上の部分は発音されないので、言語学の授業を大学で聴いたりしない限り、存在すら思いつかないものです。一体この図は文構造の何を表しているのでしょうか。

発音される「父と私は海外に行く叔父を急いで見送りに行った」は、あたかも単語がビーズか数珠で、それが糸でつながれたような、直線的なものに見えます。しかし実際は、文はいくつかのまとまりから成り立っています。このまとまりのことを「句(phrase)」と呼びます。完全に一致はしないのですが、小学校の国語の時間の文法の説明で出てきた「文節」に近いものだと思っていただければと思います。大きく分けて<イ >の文は、「父と私は」という名詞句、「海外に行く叔父を急いで見送りに行っ」動詞句、「た」という時制辞の三つのまとまりから成っています。さらに、比較的大きなまとまりである動詞句の中には「海外に行く叔父」という別の名詞句が入っています。

樹形図の上の「枝」や「NP」「VP」と行ったラベルのようなもの – 節点(node)と呼びます – に関して、日本語を母国語として育ってきた人でも、小・中・高で学ぶ機会はまずありません。しかし、不思議なことに、一度も学んだことがないにもかかわらず、日本語が母国語であればこうした枝や節点のあらわす文の中の「まとまり」は無意識のうちに「わかって」います。その根拠については、また別の機会に説明したいと思います。